足をとひとつ立てず長い廊下の中を歩いていく美凛 の後を九連はおずおずとついていく。 外から見ても豪邸だったが、中に入ってみるとさらに豪邸である。 家の中に大理石が敷かれた廊下があっていいものか、と九連は見たことがない輝きを放つ床に目をしばたせながら歩いていた。 両脇にはインテリアの一種であると思われる中世の様式を型どったようなランプが数メートル間隔で設置され、その長い長い廊下を蛍のような淡い光で美しく照らしている。 ときたま視界に入ってくる絵は、どれもどこかで目にしたことがあるようなものばかりで、まるで美術館にでも迷い込んだかのような錯覚に陥ってしまいそうだ。 ため息ひとつも出せずに正面に顔を向ければ、そこにはやはりこの家に似あわぬブルージャージ姿の美凛が静かに歩いていた。 アンバランスな取り合わせが、かえって美凛の魅力を引き立てているとすら感じる優雅な歩き方。 深窓の令嬢――――そんな言葉が頭の中をほじくり返さずともすぐに浮かんでくるようだ。 ゆったりと、三分ほど歩いた所で美凛が立ち止まる。 その横には紅色の大きなドアがたたずんでいた。 なるほど、ここが美凛ちゃんの部屋か。 声をかけようと思っていた九連は、美凛が立ち止まって出来た少しの間に言葉をはさむ。 「美凛ちゃん、お父さんとお母さんはいらっしゃるのかな?」 荘厳という言葉をそのまま形にしたような場所にいるからだろう、彼の言葉にもどこか緊張感が走っていた。 ドアノブに視線を落とし、そこに手をかけていた美凛がこちらを向いて静かに答える。 「……いません」 「いないっていうのは、仕事とかなにかで?」 「……はい」 やはり、父母共にどこかの大企業の社長だったりするのだろうか。 いや、そうじゃなきゃこんな豪邸に住める訳ないじゃん、と九連は自分を納得させる。 美凛がドアを開けた。 「……どうぞ」 「……どうも」 なぜか九連は緊張してしまう。 女の子の部屋に入ること自体に彼は抵抗感はないのだが、やはり身内と外様ではこうも違うものなのだろうか。 妹と彼女の違いを、彼は無意識に考えた。 昨日梢の部屋で見た、ピンクを中心とした可愛らしい部屋が浮かんで、それから妹の顔が浮かんでくる。 かごめの言っていた通り、確かに梢は変わった。 今まで自分にひっきり無しにくっついていてた我が妹は、ようやく独り立ちを始めたのだろう。 心強い――――けれど、やはり不安だ。 あいつ、今頃なにしてんのかな、と別れて数分足らずにも関わらず九連は妹の消息を憂いだのだった。 ○ 「くれにい……昨日アタシの部屋に入ってそんなこと考えてたんだね……」 兄の生々しい思考を読み取り一喜一憂する梢は、只今唐玉家の巨大な庭の日陰で体育座りをしていた。 昨日、自分の部屋で同じこのポーズをしていたわけだが、もちろんただ悲しい気持ちになっているわけではない。 この体育座り、梢独自の精神統一のやり方なのだ。 ふっくらとした太ももを華奢な腕でかき寄せ、柔らかい二の腕に顔を埋めれば、そこに出来るのは梢特製レーダー基地である。 普段の状態よりも深く、そして繊細に相手の心を読むことが出来るし、距離が少しぐらい離れていても問題は無い。 だが、それでもやはり美凛の心は読めないのだった。 すでに過去に試したことがあるので、別にいまさらその事実に直面したところで梢は肩を落とすわけではなかったが、やはり不安だ。 心が読めない、なんていう特異な例は2つしかない。 ひとつは死んでしまった人間。 もうひとつは、何かに取りつかれて操られている人間。 まさか美凛がゾンビやキョンシーであるはずもないので、自然と後者に決まるわけだが、梢はどうにも納得がいかない。 理由が無いからだ。 いや、もしかしたら自分の知らないところで何かキッカケがあったのかも、とは考えてみるが、そこから先に進むことはできない。 その先は姉であるかごめにしか理解できない、ということは梢自身が一番知っていることだ。 けれど、かごめに頼ろうとは彼女は微塵も思わない。 梢は、決心していたからだ。 ぎゅっと、頭を腕の中で締め付けながら回想する。 読心という能力を持って生まれた――――読心しかできない弱い自分は、今まで家族に助けられてばかりだった。 だからいつか、アタシもみんなの役に立ちたい、助けたい。 強く、そう願うようになってから随分と経った。 今の自分はどうだろう。 もう高校生、いつまでも家族に甘ている場合ではない。 アタシがくれにいをサポートしてあげるんだ。 美凛ちゃんも、きっと笑顔にしてみせる。 きっと、きっと。 清水の流れる大きな庭の端で、梢は気持ちを高ぶらせていた。 兄の予想を超えて、妹は大きな成長を見せていたのである。