真夏の白昼に、奇妙な光景が広がっていた。 淡々と歩き続けるブルージャージの女の子と、それを追う二人の男女。 葛餅九連とその妹梢は、汗をダラダラと流しながら、早歩きの美凛の後を歩いていた。 やはり奇妙だ、と彼は思う。 真夏のビーナスも裸足で逃げ出すような、人害レベルの直射日光の中を汗ひとつ流さずどうしてあのペースで歩き続けられるのか。 もしかして、美凛は雪女なのだろうか。 確かに、あの白い肌は本当に透き通っていて―――― 「くれにい!」 「な、なんだ梢!」 真後ろから突如聞こえた大声に、思わず大声で言い返す。 歩きながら首だけを後ろに向けると、そこには汗まみれでどろどろになった哀れな妹が顔を真っ赤にしていた。 直感的に思ったことを彼は口にする。 「もしかして、日射病なんじゃ」 「違う! 断じて違うよ! それよりちょっと、耳貸して」 否定の罵声から一転、声のトーンを落とす梢に、これまた九連は歩きながら器用に耳を近づける。 「あのね、さっきはハッキリと言えなかったんだけど」 「うん?」 「やっぱり美凛ちゃんの心が読めないの」 梢の声は、心なしか震えて聞こえた。 「泣いてるのか?」 「違う、本当に読めないの。本当に真っ暗で――――何も見えない、見えないの」 どんどん小声になるので、九連は耳を梢の唇数センチまで近づけて、ついに触れてしまった。 「おっと、これはカウントに入れないでおいてくれよ」 とっさに冗談を言って紛らわす。 だが、彼の冗談は梢には伝わらなかったらしい。 更に声のトーンを落として、何かをぶつぶつとつぶやき始めた。 「こ、こっちは真剣なのに……もう、ほどほどに……」 「おい、やめろ梢」 思い切り耳たぶをかじられる。 九連は短い悲鳴をあげながら正面に向き直った。 と、そこでその声が何故か耳に入ったのか、美凛が突然立ち止まって後ろを振り向く。 表情は、やはり真っ白。 のっぺらぼうですといわんばかりの無表情のまま、彼女は抑揚のない声を発する。 「……どうかしたんですか」 「いや、なんでもないです」 笑いを浮かべて、ささ、暑いですからさっさと家に行きましょうと九連が言うと、美凛は無言で前を向いて再び淡々と歩き始めた。 「ふぅ……」 額の汗をぬぐい、心の中で梢に痛いぞ馬鹿と言ってから、九連は梢に尋ねる。 (どういうことなんだよ、それ) いわゆる、兄妹間のほどほどに秘密な会話。 これ以上あらかさまに会話をするのはマズいので、片道通行の以心伝心を始めるしかないのだ。 「わからない、わからないの。ほどほどにってレベルじゃない」 (じゃあどうすればいいんだよ) 「とにかく、くれにいは美凛ちゃんの部屋に上がって。アタシは外で待つから」 (何いってんだ梢。お前も一緒に――――) 「いいの。いいから。アタシに任せて」 小声ながら強い語勢で言われ、九連は仕方なく頷いたのだった。 ◯ 喫茶店から15分ほど歩いたことだろうか。 とてつもなくデカい豪邸の前で、美凛がピタリと止まった。 少なくとも、今歩いている通りの端から端までで接しているすべてがこの家の敷地のようだ。 鉄でてきた高級そうな柵の向こう側には、緑いっぱいの、それこそ砂漠の放浪者がオアシスと勘違いしてしまうそうな大きさの、池とセットの庭がある。 美凛は、門のような場所で横を向き、躊躇なくそれを開きながら、やはり抑揚の無い声で言った。 「ここが私の家です、どうぞ上がってください」 「は、はぁ」 我が家が一体いくつこの敷地に入るのだろう、と思わず数えてしまいたくなるようなデカさだと九連は感心しながら返事にならない返事を漏らす。 梢も隣で、初めて見る友達の家に口をあんぐりと開けて驚いていたが、すぐに気を取り直して苦笑いを浮かべながら言った。 「あ、ちょっと予定が入っちゃって……ゴメンね美凛ちゃん、アタシほどほどに家に帰らなくちゃ。お兄ちゃんが何か変なことしたらすぐに電話してね」 冗談で言っているのだろうが、最後の一言でお兄さんはだいぶ傷ついたぞ、と九連は心の奥で嘆いた。 「じゃ、またねー」 と、そんなことはどうでもいいのだとばかりに、本当に梢が走っていってしまう。 「…………」 おいおい、俺ひとりでどうしろというんだ、と九連は不安になりながらも、ここまで来たからには男として引けんと覚悟を決めた。 「……どうぞ」 「おあ、どうもどうも」 気付けば門を開けた美凛が厳かな大理石に掘られた『唐玉』という文字の横で、こちらを見ている。 おじゃましまーす、と九連は腰を低くして美凛の家に入っていったのだった。