服が乱闘でもしたかのように乱れに乱れた九連がとぼとぼと席に歩いてきて、弱々しく座ると同時に梢が申し訳なさそうに美凛に言った。
「取り乱しちゃってゴメンね。とにかく、お兄ちゃんが美凛ちゃんの家庭教師をやりたいってきかなくて、ほどほどに困ってたんだ。ほら、美凛ちゃんの広い心に感謝してよくれにい」
「あ、あぁ。ホントに申し訳ない。俺の意味不明な我がままに付き合ってくれて、な」
実際意味不明なのはこの場にいる俺以外の二人じゃん、と九連はやりようのない気持ちを心の底で叫ぶ。
すると梢に睨まれてしまったので、頭をさすり苦笑するしかないのだが、もう心は百均ショップのシャー芯よりも折れそうになっていた。
なぜ。
なぜ自分が妹に蹴り飛ばさなければいけなかったのか。
納得がいかない。
梢、頼むからお兄ちゃんに怒りの理由を教えてくれ、頼む。
そう何度も心の念じるたびに、梢のまゆがぴくぴくと動く。
とても、とてもとても嫌そうだ。
教えてくれ! 教えてくれ!
あんまり九連が強く念じたからだろうか、ついに梢はこちらを向いて口だけをパクパクと動かし始めた。
『だ ま れ』
瞬間、九連は壮絶な殺気を体全体に感じたので、美凛に向き直り笑いかけて全てを紛らわすことに決めた。
駄目だ、あれは見てはいけない。
いや、見なかったことにしよう。
俺は認めない。
今の梢の言葉を妹の言葉として認めない。
――――さて。
くどいような彼の心理描写もここで仕舞いにしよう。
美凛ちゃんが待ちくたびれてしまうかもしれない。
とにもかくにも、九連は微笑みながら美凛に言った。
「ハハハッ。さて、それでは勉強の話をしましょうか」
「正直美凛ちゃんよりお馬鹿かもしれないお兄ちゃんだけど、マッサージ係ぐらいにはほどほどに役に立つかもしれないよね。ほら美凛ちゃん、勉強してると肩こるでしょ?」
「ハハハッ。左様でございますね、梢サン」
梢の声がおかしい。
冷徹なムチのような妹の声が、九連の風前の灯状態の心を叩き潰す。
「…………」
思わず敬語になっちゃったじゃんと悪態をつき、彼は梢の言葉の暴力を軽く聞き流して美凛に学校での話でも持ち出そうとしたのだが。
その時、静かに黙りこくって座り続けていた彼女がゆっくりと口を開いた。
「……そうですね。私の家で話ましょう」
「へ?」
途端。
がたん、と音が遅れて聞こえる。
美凛が席から立ったのだ。
突然の出来事にあっけにとられる二人だが、そんな二人の事はお構いなしに美凛は歩き始めた。
「ちょ、ちょっと?」
目を丸くして手を前に突き出したまま硬直した九連に、梢は溜息混じりにつぶやく。
「ほら、くれにいがフザけてるから……」
「いやどっちだよ! てか、美凛ちゃん行ってちゃってるし」
九連が指差した先には、既に店のドアに手をかけている所の美凛の姿があった。
どうしたのだろう、気でも悪くしたのだろうか。
そんな事を考えていた梢の肩を九連が叩く。
「とりあえずついてくぞ。家で話そうって言ってたし」
「う、うん」
なぜだろう。
なんだかおかしい。
クラスメートの家に行くだけだというのに、なぜか梢は嫌な予感を感じる。
彼女にとって普通の行為である読心が、美凛にだけは使えないということからの不安だろうか。
いや、そういうことじゃない。
ただ、今何かとっても重くて暗い映像が頭の中に流れ込んできたような――――
梢はちょっと待って、と九連に声を掛けようとした。
しかし、その声を聞き慣れた兄の声が遮る。
「好都合じゃん。さっさと友達の悩み、解決しちゃおうぜ」
「…………」
二度三度、口を開こうとしては閉じて、梢は少しもじもじする。
結局、兄の言うとおりだと思ったのでこくりとうなずき黙っておくことにしたのだった。