「えっと……美凛ちゃん?」 クリプトンコーヒーの落ち着いた雰囲気の中に異様な一点として存在する美凛へと、梢は恐る恐る近いづいていく。 なぜだろう、どうも普段学校で目にしている彼女とは違う気がする。 どこが違うとか、そういう明確な答えは導き出すことは出来ないけれど、何か違う気がするのだ。 格好だろうか。 そう思って、梢はまず少々飛び抜けて場違いな服装について尋ねることにした。 「私服、いつもそんな感じなの?」 「…………うん」 美凛は唇をかすかに動かし、透き通った声で答る。 久しぶりに聞く彼女の声に、梢は何故か気が引けてしまった。 「そ、そっか。とりあえず席座るね」 それを紛らわすように、後ろに付いてきた兄に席を勧め、自分もおずおずと座る。 勧められた九連は、座りながら窓側に首を向けてこちらをちらとも見ようとしない美凛を横目に、梢の耳元でささやく。 「読心できたか?」 「だから、ダメなの」 小声の範囲で力強く言い返す梢の表情は、とても複雑だった。 まるで、自分のやったことが正しいのか悪いのか判断がつかない、戦時中の三等兵のような―――― 「アタシを勝手に戦場に送り込まないでくれにい! まず家庭教師としての自分を自己紹介をしてよ」 「あ、スマン。そうだったな」 梢に顔を押し返され、九連は椅子に座り直す。 再び美凛が彼の視界に入ったが、やはり顔は窓の外へと向けられていた。 「…………」 何を見ているのだろうか。 純粋な気持ちで、九連は尋ねる。 「何か、気になるものでもあるの?」 問いかけて、しばし辺りに静寂が訪れた。 予想はしていたものの、やはり居心地が悪い。 九連はそれに耐えつつ、とにもかくにも美凛の返答を待つのみと構えていたが、いつまでたっても彼女がこちらを向かないので、ついに口を開こうとしたその時。 「別に、ないです」 まるで、清水の水たまりに、ぽつんと一粒の雫が落ちたような、そんな声が聞こえた。 そこから再び、静寂がしばし続くが、九連がそれをすぐに破る。 「そっか。妹に聞いているとは思いますけど、大学生で君の家庭教師を持つ予定の葛餅九連(くずもち くれん)と言います。今日は軽い挨拶ということでやって来たんだ」 言って、にこやかに首を下げる九連を、美凛は無感情な瞳で見つめていた。 九連の横に座る梢も、それに続いて口を開く。 「昨日は突然ゴメンね。あのね、お兄ちゃんが一兆人に一人の確率で発祥が確認される『勉強教えたい病』で、どうしても美凛ちゃんに勉強を教えないと国会議事堂に突入して立てこもるって聞かなくて……日本の治安維持のためにやむなくここに連れてきたんだ」 「」 おい とは口では言わない。 どうせ梢には伝わっているのだろうから。 しかし、なんて言い草だ。 突っ込みどころが多すぎで突っ込むどころかこちらが引っ込みたい、今すぐ自宅に引っ込みたいと九連は思う。 というか、こんな支離滅裂で嘘八百も顔負けの言い草を美凛ちゃんが信じるのだろうか。 九連は彼女の顔色を伺う。 遠くから見た時は青いジャージが目立ちすぎてよく分からなかったが、近くで見るととても整った綺麗な顔をしていて、しかも細くて色白で、なんだか結構自分の好みのような―――― 「あいたッ!?」 「…………」 自分を踏んづけた足の持ち主を見上げると、そこには怒りに染まった妹の顔があった。 なんで怒ってんだコイツ。 そう思ったら、今度は張り手をされた。 「おうふ!」 勢い良く吹き飛ぶ九連を横目に、微動だにせず美凛は言う。 「わかりました。日本のために、九連さんに勉強を教えてもらいます」 「えぇっ、いいの!?」 張った手を固定したまま、梢は思わず声を上げた。 「いてて……何でお前が驚くんだよ……突然俺を張り倒すし……」 転がった九連がそう呟くと、梢は無言で兄を蹴り飛ばす。 その顔が、実は怒りではなくほのかな朱色に染まっていたのを彼は知る由も無かったのだった。