くずかご販売員(前編) 4/4


「梢、俺はもしかしてとんでも無い過ちを犯してしまったんじゃ……」
 すすり泣く声は聞こえないものの、膝の間に顔をうずめている梢の前に手をつき頭を下げる九連。
 その姿は、つまり土下座なのだが。
 彼が頭を下げきった時、初めて彼女の声が聞こえた。
「悲しみはほどほどだよ。気にしないでくれにい。それよりも、相談があるの」
「あ、あぁ」
 精神洗浄と梢自身が呼ぶそれは、大抵の場合いつの間にやらお悩み相談会に形を変えてしまうものだった。だから、彼女の悩みを聞くことは手馴れたものなのだが、九連は違和感を拭えない。こんな風に梢の方から相談があると切り出されたのは、今日が初めてだからだ。それもまた、彼女が成長した証なのだろうか。そう思いながら、九連はゆっくりと梢に尋ねる。 

「相談ってなんだ?」
「うん」
 首を上げた梢の顔は、さっきとはまるで違う紙をくしゃくしゃにしたような複雑な表情になっていた。一体、どうしたというのか――――
「あのね、あたしのクラスの友達で美凛(みりん)ちゃんて子がいるんだけど、最近なんだかおかしいの」
「おかしいって?」
「うんとね、昨日の学校でも、今日の終業式でも、すごく泣いてたの」
 遠いどこかを見つめるような視線を部屋の中に泳がせながら、梢は途切れ途切れに話し続ける。
「最初はほどほどだったんだ。けど、今日なんてすごく泣いていて。あたし、話しかけようか迷ってたんだけど、結局話しかけられなくて」
「終業式で大泣きしてたら、誰かが気づくはずじゃん。もしかして見て見ぬ振りとか?」
 昨今ニュース番組を騒がせる、いじめ問題という嫌な言葉が九連の頭の中をよぎった。
 そして、もしや梢まで、と嫌な想像をしてしまう。
 だが、そんな想像を読んだのか、梢は不自然な笑みを浮かべて首を横に振る。
「違う違う。そんな深刻な話じゃない、こともないかも」
 言いながら、やはり笑顔は消えていってしまった。
 再びうつむきがちになりながら、梢は小さな声で言う。
「あのね、美凛ちゃんの泣き声は、あたしだから聞こえたんだと思う」
 そう言われて、九連は心の中で納得する。
 梢の読心は人の念が強ければ強いほどよく働く。
 きっと、美凛という女の子は何か大きな悩みを抱えているのでは、と彼は考えた。
「なぁ梢。その子に何か悩み事でもあるのかどうか聞いてみたか?」
「うん。だけど何も答えてくれないの」
 なら、お前がその子の心を読んで――――と言おうとしたところで梢が先に口を開く。
「それで分かるならこんなに落ち込んでないんだよ。ほどほどで済むんだよ、くれにい」
「どういうことなんだ? 梢」
「うんとね、あの子の心を読んでも、泣き声しか聞こえてこないんだ。だから困ってるの」
 それはつまり、感情が壊れているとでも言うのだろうか。
 瞬間、梢は否定する。
「違う。多分、泣き声が大きすぎて他の声が読み取れないんだと思う。原因は分からないけど」
「そっか。かなりマズいことじゃん、それ。姉さんには話してないのか?」
「うん……かごねえ忙しいから、あんまり気を使わせたくなくて……」

 恐らくかごめの心中を読んで、あの意味深長な言葉遣いの中に隠された一家を背負ってゆかなければならない長女としての数々の悩み事を、梢は知っているのだろう。できることなら、自分で解決したい。そんな健気な想いが、梢をここまで追い込んでしまったのか、と九連は思う。

「うぅ……悔しいけど正解じゃ」
「お前までかごめになったら俺泣くぞ」
 梢の小さな頭をわしゃわしゃと撫でながら、九連は胸を張るように声を張った。
「俺に頼ればいいじゃん。くれにいはこうしてここにいるんだぜ?」
「妙にカッコつけなくても、最初からそうするつもりだったもん」

 そこで、梢は初めて一筋の涙を流す。
 九連は何も言わず、妹の肩をやさしく抱いたのだった。
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