くずかご販売員(後編) 4/6





 ――――どれくらい経ったのだろうか。


 真っ暗な空間が眼前に広がっている。
 九連は目を何度もこするが、やはり目の前は真っ暗だ。
 一体全体、俺はどうしてしまったのか。
 ついさっきまで感じでいた夏の暑さ、忘れかけていた冬の寒さすら、今は何も感じない。
 考え始めた途端、すぐに記憶が巻き戻されて行き、横になり目が虚ろだった梢の息も絶え絶えな姿が浮かんだ。
「そうだ、梢は」
 言って、周りを見渡してみるが、やはり何も見えない。
 無駄だと分かりかけていても、やみくもに手を突き出して、突き出して、突き出して。
 その手に力が込められなくなった頃、焦りが心の中に生まれた。
 それは次第に増殖していき、九連の冷静な思考能力を容赦無く奪ってゆく。
 俺があの時しっかりしていれば、あの怪物を倒せていれば。
 頭を抱え、潰れそうな声で彼はつぶやいた。
「俺、兄貴失格じゃん……」
 妹すら守れない兄の、なにが兄か。
 梢が悩めば相談に乗り、梢が困っていれば助けてきてやった今までの自分が、がらがらと崩れていく気がした。
 突然、思い切り暗闇の中に手をつく。
(すまん、梢!)
 暗闇の中で土下座をして、そう心の中で叫んだ。
 いつもなら自分の心を読んで、梢が「ほどほどに反省した? くれにい」と笑いかけてくれるはずだろう。
 だが――――当たり前だが、梢の声は聞こえない。
 いくら待っても聞こえない。
 九連は両手を真っ黒な地についたまま、愕然とした。
 視線の先にあるはずの暗闇に、自分の情けない顔が映ったような――――幻覚だろうか。
 
 情けない。

 本当に情けない。

 俺が梢の兄で、本当に情けない。


「うぐっ……うっ……」

 涙が自然とこぼれてくるが、涙を流す自分が憎らしかった。
 こんな涙をいくら流したところで、梢はもう戻ってこない。
 そう思ったら、涙は止まるどころか溢れ出してきてしまう。
 蛇口の壊れた水道のごとく、九連の涙腺から涙がこぼれ続ける。
 
「こずえ……こずえぇ……」

 暗闇の中に、九連の男泣きだけが、吸い込まれるように響いた。
 





 


































「……くれにい?」

 すぐ後ろから、声が聞こえたような気がする。
 だが、九連は幻聴だと思って泣き続けた。
 頭の中で妹を殺してしまった彼には、その声は予想外過ぎたのだ。

「こずえ、こずえぇ」
「ねぇ、くれにい?」
 
 二度目の声が聞こえた時も、彼はその声を信じることが出来なかった。
 きっと、自分を見捨てた兄を呪っているのだろう。
 そう思って、ただひたすら謝り続けた。
 頭を地面にこすりつけ、ただひたすらに。

「すまん、こずえ。すまん……!」
「ちょっと! くれにいだよね!?」
 
 三度目の正直というものは、本当にあるらしい。
 真後ろから叩かれて、恐る恐る振り返ってみたら、そこには梢のきょとんとした顔があったのだ。
「ゆ、幽霊……?」
 思わず九連は言ってしまった。
 悪意などあるはずも無い、純粋な驚き。
 だが、目の前の幼さの残る見慣れた顔は、少しづつ歪んでいく。
「じょ、冗談はほどほどにって……」
「こ、梢なのか!?」
「当たり前でしょうが!」
 と、梢は軽く握った拳で乱心気味の兄の目を覚まそうと殴りかかったが、九連が抱きかかえてくる方が早かった。
「こずえ!」
 ぎゅうと、兄の腕に締め付けられる。
「ちょ、くれにい?」
 突然のことに戸惑い、苦しい苦しいと腕を叩く梢だが、不思議なことに嫌だとは感じない。
 むしろ懐かしさがこみ上げてきて、いつの間にか不平不満も言わずに、ただ兄に抱かれていた。
「…………」
「本当にごめんな、梢」
 申し訳なさそうな声が頭の上から降ってくる。
「守ってやれなくて、本当にごめんな……」
「…………」

 聞くに耐えなかった。
 勝手な行動をした自分が悪いのに、それなのに謝ってくる兄。
 どうして、アタシはこんなに周りに心配ばかりかけさせてしまうのだろう。
 自分が守ると意気込んでおいて、結局自分が守られている、そんな現実が嫌になって言い放つ。 

「違う、悪いのはアタシ」
 頭を上げて、兄の目を見つめながら、力強く言葉をつむぐ。
「いや、俺だ」
「アタシなの。かごねえを呼んでこなかったアタシが悪いの!」
 気付いたら叫んでいた。
「こずえ……?」
「アタシが悪いの! くれにいは何にも悪くない! 悪くないの!」
 叫んで、泣いて。
「ごめんなさい! ホントにごめんなさい!」

 謝って。

「…………」

 そんな梢に、兄である九連はもう一度妹を抱きしめながら言った。
「確かに梢は俺の言う事を守らなかった。でもな、お兄さんの俺だってお前を守れなかった」
「でも……」
 言い返そうとするこずえの口に、優しく人差し指を当てる。

「おあいこじゃん」

 言われて、梢は小さく頷いた。
 正直納得したわけではない。
 けれど、兄のその指を今どけてしまったら、一人ぼっちになってしまう気がして、怖かった。
 兄の優しさを拒絶してしまったら、そこには何も残らない気がするのだ。

 頷いてから、梢は黙っている。
 それを確認すると、九連は立ち上がりながら声色を明るくして言った。
「よし! それじゃ、ここから何とかして出ないとな。いつまでもくよくよしていられないじゃん」
 今まで聞いてきた兄の声の中で一番、安心できる声が降ってきたのを梢は感じた。
 けれど、そこで安心してもいられない。
 兄の後を追うように立ち上がって、少し悲観的な目測を言ってみる。
「でも、どうやってでるの? ほどほどの情報だってないんだよ」
「あぁ、そうか……」
 この空間、恐らくあの怪物が関係しているのだろうが、それ以外は全くわからない。
 ここがどこなのか、あの怪物が何かすらわからない。
 二人は現実に直面し、無言になってしまう。
 訪れた沈黙が、二人の心を後悔に染め上げていくのに時間はかからなかった。

(やっぱり、アタシが悪かったんだよね。アタシのせいで――――)
 梢は自らの過ちを悔いて。
(俺に、俺に姉さんのような力があれば――――)
 九連は自らの無力さを悔いた。


 その時突然、聞こえてくるはずのない姉の声が暗闇に鳴り響く。

「またせたの! 葛餅家長女かごめ、只今参ったのじゃ!」

 その声は、くもりだらけの二人の心を爽快に照らしたのだった。
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