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作:黒兎玖乃



「――見せたいものがあるんだ」
『見せたいもの? お前そんな事言うなんて珍しいな』
「ちょっと、面白いものでね。学校の前のバス停で待ってる」
『おう、分かった』


     †

 しと、しと、と、雨が降っている。
 鉛筆で塗り潰したような灰色をした雲が初夏の蒸した空気を閉じ込めて、辺りには雨に加え肌に張り付くようなじとじととした湿気が満ちる。そのせいもあってか、もしくは辺鄙な片田舎であるせいなのか、休日にも拘らず人通りは極めて少なかった。
 その中で、休日独特の整然とした静けさを纏っている学校を除いてはほとんど遮蔽物のない、一つの小さなバス停――小さな東屋の格好をした屋根の下で、彼はベンチに座っていた。雨が地面を穿つ、鼓膜をくすぐるような音を聞きながら、彼は傍らにおいてある湿ったスポーツバッグを肘掛け代わりにする。
 見据える先にあるのは、どこか威圧感を漂わせるほぼ無人の学校と、周りに点在するいくつかの民家。いずれも見える範囲に人影は動いておらず、確認できる範囲内では人間は彼しかいなかった。
 人間、は。
 すぐ近くの道端に群生している紫陽花には、雨天時に活発に行動する生き物が多数群がっている。
 げこ、げことやすりを引っ掻いたような鳴き声をあげる蛙。葉に滑って光る跡を残しながら這い回る蛞蝓。それが巻貝のようなものを背負った風貌をした蝸牛。
 どれも、各々の思うがままに蠢いていた。
 それを眺めて、彼は薄ら笑いを浮かべていた。彼は昔から生物が好きで、その中でも特に虫には一目置いていた。故に、その頬は自然と綻んだ。
 彼が今日ここに来た目的は、雨の日の風景をスケッチするためだとか、そういう類のものではない。ある一人の友人と簡単な約束を交わし、今は待ちぼうけに近い感覚でベンチに座っているだけである。
 とりあえず、それは嘘ではない。
 彼は雨粒のついた腕時計を見やり、時間の経過を改めて確認した。このバス停に腰を下ろしてから、十分ほどが経過していた。
「――――遅いなあ」
 小さな溜め息と共にそう漏らし、彼は再び視線を元に戻す。
 とは言っても、主だって何かを見つめているというわけでもなかった。目の先に続く無機質なコンクリートの建造物と自分との間の、漠然とした空間。自分の眼球が向いている方にあるものを直視するのではなく、その対象物と自分の視覚の中点付近に存在するだろう、何と名づけられたわけでもない、ぼんやりとした空隙。
 茫、と魂の抜けたような面持ちで、彼はその空間≠見続けていた。

「悪い、遅れた」

 その声が耳元に届いたのは、それから更に数分後のことだった。
「何分待ったと思ってるんだよ」
「ごめんごめん、ちょっと用事が立て込んでてさ」
 友人は少しだけ悪びれた様子を見せて、彼の隣に座り込んだ。
「それならこっちこそ悪かった。急に呼び出したりなんかして」
「気にすんなって、よっぽど大事な用事なんだろう?」
「ああ――――」
 一拍置いて、彼は言葉を紡ぐ。
「誰よりもまずお前に見せたいものがある」
「それはもう聞いたっつーの。何を見せてくれるのかを聞いてるんだよ」
 友人――――牧人はばんばんと彼の背中を叩く。その拍子で彼はむせた。
「う……それは着いてからのお楽しみさ」
「ん? ここじゃ見せられないのか?」
 彼は置いてあるスポーツバッグのひもを肩にかけながら、
「ああ。僕の家の近くの離れにあるからね」
「何だ、それだったら俺が直接赴いた方が早かったじゃねえか」
「そう、かもね」
 ふふ、と彼は笑い、踏ん張りをつけると立ち上がる。
「それじゃ、早速向かうとしようか」
 雨はまだ、しとしとと降り続けていた。


「喉、渇くだろう? ジュース買っといたよ」
「お、サンキュ」
 牧人は彼からペットボトルを受け取ると、すぐに片手で器用に蓋を開けて口をつけた。よほど喉が渇いていたのか、牧人は喉を鳴らして一気に半分ほどを飲みきってしまった。
「美味いなこれ。ラベル貼ってないけど、まさか自家製か?」
「そのまさか」
「ははは、相変わらず発明家だなお前は」
 彼はボトルの首辺りをつかんでぶらぶらと振る。
「それで? 今日俺に見せたいものっていうのは、本当に俺が驚くようなものなんだろうな?」
「もちろんだ。驚くこと請け合いだよ」
「なーら楽しみだ」

 牧人はそれだけ呟いて、それきり少し押し黙る。彼にはそれの理由が、ありありと分かった。
「――あいつのことか」
「悪い、お前と会う度どうも思い出しちまって…………すまん」
「お前が謝ることじゃないさ」
 彼はそう宥めて、牧人と共に山間の道をゆっくりと歩く。

 単刀直入に言えば、牧人は彼の妹と付き合っていた。
 そして、その妹が死んだ。急性の心筋梗塞で、即死だった。もう何年も前のことだ。
 彼が悲しんだのはもちろん、牧人も死ぬほど悲しんだ。死別という名も知らぬ人ですら多少の哀惜が伴うことが親しい人の身に降りかかったとなれば、襲い掛かる苦しみはこの上ない。
 彼はもう大分吹っ切れてはいたが、牧人はまだ引きずっていた。
 牧人と妹は結婚を前提に付き合っている。そんな話を妹から聞いていた彼は、牧人の心情を思うとやりきれないくらいの葛藤に襲われた。
 それでも迷いはしなかったから、今ここに彼は立っている。
 樹木で作られた深い庭園のような砂利道を、二人は歩く。世界から隔離され、別次元に伸びているような山道を、玉砂利を踏み鳴らしながら歩み進む。周囲の林のような景観のおかげか、蒸気のように纏わりつく湿った空気から逃れることはできたが、そのかわりこの時期にしては妙に冷たい風が、ひゅう、と流れ去り、時間が止まったような空間をゆっくりと混ぜ返した。
 彼は牧人を先導する形で、ずんずんと足を進めていく。その度に肩にかけてあるスポーツバッグが揺れ、内容物がごった返しになるのが見ずとも分かった。特にそれを気にするでもなく、彼は目的地へと向かうだけのロボットのように無機質に、足を前へ前へと動かし続けた。
 足の裏が地面につく度に、ざり、というひしめき合う砂利の音が聞こえる。僅かに傾斜したような山道――扇状地を登るように存在するこの道は、歩き続けていればそれなりの疲労に襲われる。
 それでも彼は休憩をとることはないし、牧人も無理に休憩を請うことはなかった。使命感に似た妙な感情が満ち満ちて、彼は決して後ろを振り向こうとはしなかった。
 たとえその結果、牧人を失うような大惨事があったとしても、何も変わらない≠ニ思ったから。彼は枝葉が擦れて囁く中を、無言で進んでいった。
 ……そして、十数分は経っただろうか。

「ここに来るのも久しぶりだな。あんまり変わってねーや」

 牧人が疲れも知らぬ顔で、笑顔を浮かべながら呟く。
 道は急に山地を開拓したような開けた場所に出た。そこにはキャンプ場にあるログハウスが二つ並んであり、それに挟まれるようにして奥にひっそりと、同じ程度の大きさのコンクリート製の平屋が佇んでいた。
 木々に阻まれていた空天井が、ぽっかりと穴を空ける。
 僅かな陽光が差すおかげで、多少なりとも湿った空気が流れ込んでいたが、採石場のような空間には爽やかな風が吹き抜けており、居心地の悪さは微塵にも感じ取れない。
「ま、僕一人じゃどうすることも出来ないから」
「お前一人で大改装してたらそれはそれでびっくり仰天だしな」
 彼は皮肉げに言ったつもりだったが、牧人はそんな事は汲み取らない。
 牧人は変わらない様子で敷き詰められた玉砂利を踏み分けると、二つのうち右のログハウスに近寄り、その壁の丸木をぽんぽんと叩いた。
「懐かしいなー、このログハウスも。何年か前にみんなでキャンプした時以来だっけか?」
 彼は頷いて答える。
「そうだな。あの時は随分と楽しんだもんだ」
「またみんなでキャンプとかやってみたいなー」
「……さ、こっちだ。お前に見せたいのは」
 彼は昔のことを掘り返し、妹のことを話題に出してしまうのには気がひけたので、話題を無理矢理遮断して奥にある他の二つとは一風変わった雰囲気を放つ平屋へと手招く。牧人もさすがにそれを察知したのか、だだっぴろげていた大口をぴしゃりと閉じ、押し黙って彼の後ろを付いて行った。
 僅かの、沈黙。わだかまる重い空気を吹き流す風が、二人をふんわりと撫ぜる。
 程なくして平屋の前まで辿り着くと、彼は躊躇うこともなくその扉を開けた。中は奥まって暗く、一見してはその中を見ることは困難だった。
「驚いて、腰抜かすなよ」
 開いた扉を固定すると、彼、追って牧人が家の中へと入っていった。牧人が薄暗い中を視認しようとする間に、彼は入り口の扉を閉める。
 そして、すぐ近くにある照明のスイッチをいれると、ぱ、と蛍光灯が一瞬音を立て、あっという間に部屋の中には燦々と人工的な光が舞い降りた。部屋の壁が見えなくなるほどの本棚が詰められていて、その下には崩れ落ちた何冊もの本が広がっていて、研究者の荒れた部屋のような、そんな雰囲気を醸し出していた。中央にはモダンな色の木製のテーブルがポツリと置かれてあり、その上には幾重にも重なった書類が散乱していた。
 だが牧人は見慣れている、と言った風で、特に意見も漏らさず彼に訊ねる。
「んで? そのびっくり仰天大騒ぎのブツはどこに?」
「まあ、そう焦るなって。今見せるから」
 牧人の催促の声に答えて、彼は部屋の奥にある扉へと近寄る。牧人は途中までついて行くと、部屋の中央辺りで歩みを止める。そして、待ち構えるように腕組みをすると、口元に笑みを浮かべた。
 彼は、肩越しにその表情を見る。――驚かせるもんなら、脅かしてみろ、と言わんばかりの牧人の表情を。
「それじゃあ、いくぞ」
 またも躊躇うこともなく、彼は扉をゆっくりと開いた。
 扉の向こうは、ひどく明るい。牧人は思わず目を細めたが、僅かな視界でゆっくりとその奥を確認した。
 そこには――――








 一人の少女が、立っていた。


「…………………………え?」

 牧人は視界を両腕で遮蔽しながら、僅かに呻く。まだ視界がはっきりとせず曖昧なままの少女の姿しか見えなかったが――――すぐにそれが何なのか、察知した。
「ゆ…………裕香!?」
 裕香、というのは妹の名前だった。可愛げがあって彼と同様に虫が好きで、とても従順だった自慢の妹。
 それとまったく同じ姿が今、扉の奥から姿を見せたのである。
 もちろん、驚かないことは、ない。
「ほ、本当に……本当に裕香なのか!? そうなのか!?」
 牧人の問いかけに、裕香はゆっくりと頷いた。
 興奮していたのか、牧人は裕香のまるで生気のない眼≠ノは、全く気付いていなかった。
「裕香…………裕香…………!!」
 牧人は大粒の涙をぼろぼろとこぼして呻いた。心の中で渦巻いたものが決壊した。

 今目の前には、失ったはずの愛すべき人が立っている。何があったのかはよく分からないが、失いたくなかった人が、そこにいる。失くしたはずのものが、手が届く範囲に立っている。
 それだけでも、名状しがたい喜びの感情が心内を駆け巡った。
 自分と少しの距離を置いて、困ったように微笑む彼女。
 触れ合いたい。話し合いたい。愛し合いたい。語り合いたい。笑い合いたい。
 牧人は思いの全てを彼女に変換すると、おぼつかない足取りで裕香へと歩み寄った。
「裕香………………」
 それに答えるように、無言で裕香はその両腕を開いた。
 こっちにおいで、と誘うように。生きた人間のものではない=A満面の笑顔で。
「…………………………!!」
 その瞬間、牧人の中なりとあらゆる感情が崩壊した。もう、他のことなどどうでもよくなってしまった。
 牧人は無我夢中で、裕香に駆け寄った。泣きじゃくりながら彼女の身体に腕を回し、彼女を強く抱き寄せた。
 もう二度と離さないというほど強く、彼女を抱きしめた。

 よかった……!!

 理由は知れないが、自分はもう一度裕香に会うことが出来た。たとえこれが嘘だとしても、幻だとしても、まったくもって構わない。
 一瞬だけでも、裕香に会って抱きしめることが出来た。
 牧人は誰にいうでもなく、心の中で大きく快哉を叫んだ。

 本当に、本当に……!!

 心の中で淀んでいた不安と緊張が一気に吹き飛んで、今すぐにでも崩れ落ちてしまいそうになった。
 身体が震えて、うまく言葉に表すことが出来ない。そんなことが、無意味だと思えるほどに。
 歓喜の波が、身体の中に押し寄せた。

 裕香…………!!

 今一度その笑顔を確認しようと、牧人は裕香の顔を覗き込んで――――









 "顔が、溶けていた"。




「……………………へ……」
 言葉にならない感嘆を漏らす。彼女を支える手に、急に力が入らなくなった。
 すぐ近くに立っている裕香の顔が、まるでアイスがそうするように、溶け出していたのだ。
「ゆ、裕香…………!?」
 一種の違和感を覚えた牧人が、その名前を呼んだのをきっかけにして。




 ぼろ、


 と、裕香の眼球が"垂れた"。
 眼窩から飛び出して、纏わりつく血管や視神経を支えにして、ごろり、と眼球が限界を超えて、飛び出してきた。そして次の瞬間には眼窩から赤黒い液体が堰を切って噴出し、その飛沫が牧人にもかかった。

「………………………………!!」

 一瞬で満ちる恐怖。牧人はすぐに裕香から手を放した。
 そして、喜びには程遠い理由で震える手で、自分の頬を拭う。
 ――――血だった。
 次に息を吸い込んだ途端に、嗅覚の全てを血液独特の鉄臭い刺激臭が埋め尽くした。
「うっ…………!!」
 血がついたままの手で、思わず鼻をつまむ。もちろんそれだけでは血なまぐさい臭いはとどまらず、おぞましい血液の香りが、閉鎖された鼻腔の中で濃密に張り巡らされた。口の中にも、気持ち悪い鉄の味が広がる。まるで、気化した血が口の中に入り込んで、液化するように。
 牧人は鼻をつまむ手を離して何歩か後ずさると、再度目の前に立つ"裕香"を視認した。

 、目、鼻、耳、口。あらゆる穿孔からどろどろの赤黒い血液を垂れ流しながら、知能の欠片もない生き物のように不規則に頭を動かして不気味に微笑む"裕香"の姿を見て――――

「うわああああああああああああっ!!」
 牧人は、絶叫する。足が震えて立てなくなり、その場に崩れ落ちる。
 目の前に屹立する"裕香だった生き物"は、今度は立ち上がらせるように、牧人へと手を突き出した。
 しかしその手は、高温に放置していたチーズのように指の先から皮膚を垂れさげ、その隙間からぼろぼろと組織の壊れた肉を落として、血脂に塗れた骨を露呈させる。
 皮膚が溶けて内側が露になった部分では、筋肉や神経が本能的に蠢きまわる虫のようにひくひくと脈打ち、やがてはまるで蛆虫をびっしりと詰め込んだように激しく脈動を始めた。
「ひ――――――――!!」
 牧人の脳裏には、もう、裕香に対する愛情など一片もなかった。混乱の窮地に立たされる頭に広がるのは、恐怖、恐怖、恐怖。眼前に立つ"化け物"に対する、畏怖に近い最大級の恐怖。
 差し伸べられた手を、牧人は右腕で思い切り弾き飛ばした。
 その拍子に、"裕香"もその場に崩れ落ちる。足があらぬ方向に、べき、と折れ、ぐしゃぐしゃと人間の中身が無茶苦茶に混ぜ返される凄惨な音と共に、糸の切れた操り人形のように床に堕ちた。
 ばきばきぼき、と何本もの骨が折れる音がして、裕香の身体からは赤に塗れた無数の骨が突き出してくる。自重で押しつぶされるように、裕香の身体はあっという間に頭二つ分程度の高さにまでぐちゃぐちゃになった。
 牧人は頭上から多量の血を浴びる。そのせいで視界が真っ赤に染まり、もはや死骸同然にまで変貌してしまった生き物は、それでも蠢き続ける。
「……………………!!」
 足がすくんで、立ち上がることすら出来なかった。何とか立ち上がろうと近くにあるテーブルの足を掴んでも、ずる、ずると夥しい量の血液で滑ってしまい、何度も床やテーブルの足を引っ掻いた。
 裕香の頭が、"横にずれる"。曝された赤黒い断面では、先刻目の当たりにしたものより激しく筋肉のひだが不気味に蠢き、そしてごぼごぼと半ば液状をした不鮮明な血液を大量に溢れさせた。
 そしてやがてはその首から下も崩れ、皮膚や筋肉で覆われていた人間の内部が露出する。血と自身の色で赤とピンクのマーブル模様になった内腑が白く濁った脂肪の塊と共に、人間が吐瀉物をぶちまけるようにして、雪崩を起こして拡がった。
 部屋に、猛烈な血と内臓の臭いが充満する。
「う………………ごほっ!! げぼっ!!」
 あまりの大惨事に、牧人はその大惨事の中で思い切り嘔吐した。
 そして息つく間もなく――――――――


 自らの口から漏れ出した、節足動物のような形をした生き物を見て――――

「うわ……あああああああああ!!」
 口を押さえて、牧人は叫び散らした。くぐもった叫び声が、部屋に響き渡る。

 何だ……何だ……!?

 精神が決壊しておかしくない状況で、ひどく冷静に牧人は自分の口内を確認する。
 体の中では無数の生き物が暴れまわるように蠢き、頬肉を貫かんばかりの勢いで足らしきものを打ちつけていた。
 牧人はすぐさま、口の中に跋扈する異物を吐き出した。細長いダンゴ虫のような生き物が嘔吐のし過ぎで噴出した血と共に、赤と白の模様を呈して、床でのた打ち回った。
「う………………!!」
 もはや恐怖の言葉すらも表面化できることなく、牧人はただただ目の前で繰り広げられる凄惨な光景を茫然として見ることしか出来なかった。






「――――レウコクロリディウム」
「…………!?」
 "彼"が、ゆっくりと呟いた。
「一般的にカタツムリに寄生し態と鳥に食べられるようにカタツムリを誘導する、カタツムリの意識を完全に支配する虫」
 その表情は、
「実に幸せな光景だろう? この、つむ子――もとい裕香の姿は」
 不気味な笑みに満ちていた。
「…………!!」
 言葉が出てこない牧人は、"彼"の声を傍受することしか出来ない。
「お前は、妹と離れることを拒んだ。妹も、お前と離れることを拒んだ。だから、そんな引き裂かれた間を再び結合させるために、僕は研究を始めた。
 そして長年の研究の末、死んだ人間を虫と融合させることで生き返らせるという、画期的な方法を編み出した。それがこの方法、『虫っ娘計画』だ。実にお茶目な方法だろう?」
 彼は無残な姿の裕香の傍に座り込むと、その崩れた容姿をゆっくり撫でた。
「こんな姿になってしまったけど、実験は成功だ」
 して、一つ。
「加えて――――"操られたカタツムリは、二度と意識が戻ることはない"。それはお前も例外じゃない、牧人」
「……………………!!」
「お前も知ってるよな? カタツムリに、オスメスの区別はない。雌雄同体だ。だけど、カタツムリと融合させた裕香は、"見ての通り"まだ雌一体だ。だから――――こうしてここに来てもらった。融合するんだ、牧人」
 彼は裕香の中から一つの心臓を取り出すと、それを牧人の口へと向けた。

 嫌だ――――!!

 そう牧人は言おうとしたが、もはや言葉は出ず、代わりに受容するように口を大きく開く羽目になってしまった。

「そうだ…………」

 牧人は口を閉じようとしたが、もはや身体がいうことをきかない。
 徐々に目の前に迫る心臓が、どくんどくんと脈動していた。
 ぼろぼろと無意識に溢れる涙。がちがちとして、歯の根が合わない口。恐怖にわななく全身。噴出す汗と血で湿った服。崩壊する意識。恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖。
 必死にはいずろうとする四肢、言うことを聞かない四肢。血に染まる體。霞がかったようにぼやける視界。次第に濁る視界。真っ白で見えなくなる視界。失う視覚。

「お前達は、もう離れ離れにはならない――――」

 遠のく意識。口の中に異物が詰め込まれる感触。違和感。不快感。嘔吐感。
 ぷつん、と切れる意識。泥の中にまどろむようにして溶ける意識。
 最後に聞こえた言葉――――



「ずっと、ずっと一緒だからな」




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